今は亡き、福岡夏絵先生
わたしが出会ったのは、第一線を退き始めた頃のようです。
もともと目がお悪かったのか、その頃はほとんど見えておられませんでした。
ピアノは黒田さんにご依頼され、わたしのレッスンは始まりました。
全く習った事もなかったし、カラオケとかで好きにうたってましたので、わたしの歌を聴いて、とても驚いたようです。
まあ、その頃のわたしは、ちょっと声を出せば咳がでて、三分の一は福岡先生のさまざまな人間関係の愚痴を聴いていました。
ああ、訪問看護もそうなるな、レッスンか仕事かわからないな、みたいに思った事もあります。
ただ、確実に習うたびに声の出し方が変わります。
今でも福岡夏絵先生を鮮明に思い出すのは、わたしのマネです。
「貴方はこうなのよ。」
ダミ声で聞き苦しい、絶対自分じゃない!と反発していました。
ある時、先生の言われる意味がよくわかって、とても感謝しました。
声の出し方や歩き方、姿勢も、正しい事はわかってきても、できるようになるまで時間がかかります。
わかっても、またわからなくなり、また思い出し、毎日約三年続けて、やっと定着するものだとおもいます。
録音したレッスンを毎日聞いて、練習するときもありました。
これも余裕がないと続かないから、歌声は余裕のある時だけ美しいんだと思います。
先生の教えてないときの、鼻歌のような歌が、本当に美しく素敵でした。
最後に先生の歌声を聴いたのは、ユートリアでした。
「荒城の月」本当に素晴らしく、響き渡り、みんなが息をのんだ。
歌が先生の人生だったんだなって、涙がでました。