唯一の訪問看護ステーションになりたい

人はみんな、唯一の人だと思います。
時々否定される事を全て真に受けてしまう時、唯一の自分を見失ってしまいます。

訪問看護ステーションは 介護保険ができた時に、サービス機関の一つとして誕生しました。
ステーションはその時ですが、訪問看護の歴史は古く、病院や診療所からも自宅に伺っていた時代は長いです。

わたしも30年前くらいに、病院から注射を持って訪問看護に行っていた1人です。
これがわたしの人生の一部になるとは、その時は全く考えられませんでした。
家の一室に布団を敷いて寝ているお年寄りの方々に、出会いました。何年も寝たきりって、ホントご家族もご本人も大変だな、なんて思ってました。

こういう、社会問題を助けたい、と作られた訪問看護ステーションですが、なかなか教育が難しく、精神力がいる仕事です。

死と直結する医療(看護)だからではないでしょうか?
人間は死んでいくのが、普通で当たり前なのに、人の命を奪う人達もいて、その人たちには罰を与えないといけない、人としての役割もあるから、かもしれません。

わたし達も同じ人なので、過ちを起こします。この過ちが考え方や育ちで、わかりにくい時があり、過ちを犯しても、時間が経ち、後になってみなければ判らない。という経験をしてきました。

自分に対しての過ちならば、病気が作られ
他人に対しての過ちならば、社会から孤立するとか、発言をしても聞いてもらえないとか、法律違反になったり、逆恨み を受けたり、します。

そういう事の集大成が、老齢期や病気を診断された後に起こるのを、訪問看護は間近で見るので、勉強になるし、自分の行動により、影響を起こす事がわかります。

それを程よく、バランスをとりながら、仕事として続けて行く事が訪問看護には要ると思います。
そして職業は人を育てます。
だから、それをできる人間は、「幸せになれる」と、素直に思いたいです。